略歴・解説
薬種業を営む父桜隠の長男。通称尚一郎、訊斎、苟完、紹桜と号す。代々漢学に趣味があり、長岡の高橋竹之介の誠意塾に学び、詩文と書画に優れる。青年の頃は感懐を七言絶句に託し威勢のよい書画愛好家であった。大正9年43歳、政友会に入党。かつての自民党、松村文次郎と並ぶほど有名になる。大変熱ぽい人柄で、政友会が進歩党に押され気味な体制を盛り返すために、大正13年代議士選挙にかける。しかし政友会が分裂し、僅差で涙をのみ、以来政界から一歩引く。また読書好きであった就学前の愛児を亡くし、禅師から法名「玉質秀苗禅童子」を贈られ比角小学校へ「秀苗文庫」を寄付した。また敬老会を催し町民から敬愛された。