略歴・解説
幼少にて父を失い、明治11年22歳のとき小樽へ渡り、雑貨商を営む。弟喜蔵を呼び、海陸の移出入から醸造・精米業に励む。明治27年、米穀・小豆など五品取引所を設置し理事長となる。重要移出品の小豆に着眼し、熟慮の末に商いをする。明治35年秋以降順風満帆。特に大正3年6月第1次世界大戦勃発と同時に小豆を大量に買付け、1年後には2・3倍の高値となり巨利を得る。世に「小豆将軍」の異名をとる。この年に商工会議所会頭となる。衆議院議員・貴族院議員となり、防波堤や小樽運河の築造に力を注ぐ。大正11年石地小学校(西山町)建築に際し大口寄付をする。