略歴・解説
北海道で酒造業を営む。明朗活達な人柄で、30余の肩書を持った徳望の人で、栗山町の名誉町民でもある。明治38年、柏崎中学(現柏崎高等学校)卒業と同時に北海道栗山町の小林家に婿入り(旧姓田中)。先代の年間売上6百石を昭和15年には8千6百石とし、業界に注目される。宅地内に工場12棟を建て、道外に販路を拡大。昭和32年生産工程を自動化し、清酒「北の錦」と焼酎などを製造販売する。「北の錦」の成功は、工場が良米地の栗山町にあり、夕張炭鉱にも近くて、良質美酒をモットーに、人材・設備に金を惜しまなかったからである。戦後酒造関係業者に推され参議院議員に当選。道内の金融、自動車、パルプ、石炭、酒造業など本道経済界との関係が深い。公職としては日本酒造組合中央会理事、道酒造組合会会長、全国卸組合中央会理事など日夜多忙の日を送った。