与口 重治

じんぶつ名(ヨミ)よぐち じゅうじ
生年月日(西暦)1887
生年月日(和暦)明治20年
没年月日(西暦)1970
没年月日(和暦)昭和45年

略歴・解説

人望の厚かった父虎三郎は蔬菜園芸に没頭し良品種の育成に努め、明治30年33歳から節成胡瓜の採種事業を始めた。息子重治は父のあとを受けつぎ、明治41年農業試験場の採種場指定を受けたので、明治43年節成胡瓜採種組合を創立。翌年、橋場組合員は30名に急増する。虎三郎を組合長に推し、重治は組合員の統制・実地指導・試験場との連絡・宣伝・販路拡張などに努力し発展させる。農家から注文が殺到し悲鳴をあげる。上原・下原の組合員も加え200名、14町歩70石に達する。出荷は県指定の16年間、主に通信販売をする。大正8年、初代組合長虎三郎の功績を讃え、橋場の大国玉神社に碑を建てる。大正14年、父の死後、重治は2代目組合長となり、節成胡瓜の普及と研究に力をつくした。

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