略歴・解説
風貌は口を曲げ眼光を輝かせ、商売一筋の気骨を感じさせる。明治3年13歳で北海道に渡り、奉公中に母を亡くす。小樽で結婚し海産物・精米業を営むが、2回の大火で無一文となる。明治26年借金で魁益丸を購入して、新潟-小樽航路を開設し、越後米や鰊網を小樽へ、海産物を新潟に運ぶ。明治27年日清戦争で船は徴用され、傭船料を入手し倉庫業を営む。特に明治37年日露戦争では所有の米山丸・弥彦丸が徴用され、旅順港でロシアの軍艦封鎖に役立てるため沈める。その船の補償で巨満の富を得て、徐々に倉庫を建て商船や土地を購入し、南洋航路を開設する。晩年は学校建設を息子に託し、1万坪の土地と20万円の建設費で小樽に近代的な学校の小樽市中学校(現市立長橋中学校)を創設する。故郷に思いをはせ、家紋である柏の校章や船名に故郷の名前をつけた。