略歴・解説
父栄治郎の長男。東京帝国大学工学部船舶工学科をへて、昭和8年逓信省管船局に入る。戦時中は標準型木造船の大量生産に関わるが、船体よりも鋼材部品調達に苦労する。戦後は占領軍と船種・性能に関する建造制限の緩和交渉に尽くし、造船業の復興に努める。昭和23年運輸省の外局海上保安庁整備課長に就任。昭和26年第9管区海上保安部長として新潟で漂流機雷の処理に当たる。その後運輸省に戻り船舶局首席検査官に就任。昭和34年船舶局長となり、2年後局長を辞職。名古屋造船株式会社社長、昭和39年石川島播磨重工株式会社副社長、昭和45年日本海事協会会長、各種関連の会長・役員などを歴任。生涯船舶一筋に心血を注ぎ、勲二等瑞宝章を授章する。