略歴・解説
日本石油会社支配人、渡辺忠の二男。柏崎中学(現柏崎高等学校)、東京帝国大学法科大学経済科を終え、農商務省に入る。大正5年28歳の時、八幡製鐵所へ派遣され、第1次世界大戦中鐵鋼原料確保に奔走。37歳にして商工省鉱山局課長となり、鐵の舞台に立つ。欧米視察後の昭和5年、八幡製鐵所総務部長時代の経済不況下において人員整理を断行する。昭和9年、数社合併して日本製鐵株式会社が誕生し、取締役兼八幡製鐵所所長に就任。昭和12年日中戦争が勃発し、八幡製鐵所に産業報国会(戦争協力のため労資一体の組織)が設立されると、その将来を懸念して辞任。昭和20年4月日鐵社長及び鐵鋼統制会会長に推挙される。同年8月敗戦。昭和27年八幡製鐵社長となり、その後鐵鋼連盟会長、日本経営者団体連盟常任理事などの要職を歴任。勲二等旭日章を受章。上司に信頼され、職員・地域住民に慕われた人柄であった。