略歴・解説
刈羽郡内の大地主の父平三郎の長男。高名な藍沢南城塾に学ぶ。明治12年41歳で県会議員に当選、翌年から議長7ヶ年を務める。在任中信濃川工事の大半は国費で賄うことを主張し続ける。明治21年欧米各国を視察、産業の近代化の急務を痛感し、日本石油、新潟鉄工、北越鉄道、越後鉄道、北越水力電気(魚沼の信濃川分水路工事)などの会社の創設に参画する。金融面では明治29年長岡銀行を創設。高田第139銀行や第四銀行の取締役に就任。また人材育成のため長岡実業学校(明治31年廃校)を開校する。その建学の理念は山口育英奨学金として脈々と息づいている。