星野 鵜水

じんぶつ名(ヨミ)ほしの ていすい
出身地柏崎市上田尻
生年月日(西暦)1783
生年月日(和暦)天明3年
没年月日(西暦)1845
没年月日(和暦)弘化2年

略歴・解説

明治維新前後の国学者、星野本家6代目藤蔵の弟。通称菊三郎、名を賁、号を鵜水という。本家同様酒造業で財をなす。読書を好み今井鏡洲(閻魔堂の僧で龍門舎開設)に学ぶ。15歳頃江戸で幕府の儒学者古賀精理に朱子学を学び、文化11年(1814)31歳のとき、伊勢の神戸藩本多侯に仕え、辞して後に江戸で開塾する。兄弟が早死したので郷里の方の勧めで上田尻に帰り、数年間門人を育てる。比角村長浜に「詠帰堂」を開設。朱子学を第一に、文芸を後にする厳格な教育と勤倹質朴の精神で多数の人材を輩出する。

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