略歴・解説
本名は午三郎。少年時代から俳句文学に興味をもち、東京へ遊学する。中央俳誌「ホトトギス」、「日本」、「明星」への投稿を通し俳壇との交流を深める。日露戦争勃発後仙台へ入隊し、愛馬雲錦号と出兵し遼陽の激戦で左腕に銃弾貫通。幸い馬が盾となり小隊全滅の中で唯一生還。愛馬の死を嘆き、歌集に残すため『愛馬雲錦帳』作成を訴え、大谷句仏、高浜虚子、河東碧梧桐、森鴎外、幸田露伴らが作品を寄せる。
供華蓮の 白きが淋し 愛馬の日
牛喆
県下の俳壇で活躍し、地元に北吟会を結成し、刈羽・三島の俳壇を取りまとめる。昭和20年村長を最後に役場の職を辞す。昭和27年、野風会により牛喆翁の句碑が、北条の野風ヶ丘に建てられた。
定めなき 山の月日や 散る桜
牛喆