藍沢 南城

じんぶつ名(ヨミ)あいざわ なんじょう
生年月日(西暦)1792
生年月日(和暦)寛政4年
没年月日(西暦)1860
没年月日(和暦)万延元年

略歴・解説

漢学者北溟の六男。南城6歳のとき片貝村で塾長の父が病死し、母の生家八石山麓の南条村(柏崎市)の関家に帰る。15歳で上京。儒学を基とし、諸学説を選択・折衷して正しい解釈に達しようとした折衷学を学ぶ。文政3年(1820)29歳で帰郷し、加納村(柏崎市)で3年間開塾、その後南条村の八石山麓に三余堂(南城塾)を開塾する。三余とは、“年の冬の余”、“一日の夜の余”、“時の雨の余”で学問はいつでもできるという意味である。三余堂は開塾後13年目の天保3年(1832)、二階建てを新築する。祝辞に、一滴の水も集めれば大海になると努力の継続を教育理念に掲げ、「共学師弟同行」の起居を共にした精神で指導する。41年間で県下704名の人材を育成。坂口五峯は南城を、「県下稀に見る逸材」を賞賛した。没後、養子朴斎、その子雲岫が受け継いだ。

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