飯塚 知信

じんぶつ名(ヨミ)いいづか とものぶ
生年月日(西暦)1892
生年月日(和暦)明治25年
没年月日(西暦)1965
没年月日(和暦)昭和40年

略歴・解説

大地主の弥一郎の二男。早稲田大学卒業後、欧米視察で見聞を広める。昭和3年衆議院議員に当選。翌年から10年間高田村村長に就任。昭和14年貴族院議員となり、再び国政に参画する。実業界では農林業、並びに第四銀行・信用組合など金融業の要職を歴任。昭和17年、軍需工場の進出に伴い手狭となった比角の県立柏崎農業高等学校のため、枇杷島地内の所有地1万5千坪を県へ寄付する。昭和22年農業学校は新校舎へ移転。後に卒業生・学校関係者によって感謝の意を学校建設の碑に刻んでいる。同年昭和天皇巡幸の折、飯塚邸に宿泊され、後に広い庭園に「秋幸苑」の名を賜ったことは生涯の感激と語った。

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