略歴・解説
地主で村長や養蚕業をしたことがある父貞隆の長男。19歳で上京、東京専門学校(現早稲田大学)政治科に入学。翌年毎日新聞社社長を会頭に青年革新会の組織の一員となり、社会啓発をする過程で文学に興味をもち中退する。一切の所持品を売り、明治末年25歳から数年間文芸誌などに反戦詩を発表する。『ハタラケ』は創刊号で廃刊。『青春』は12号まで発行し、『若草』には有名な「梭の音」、「小きむくろ」が載せてある。資金を得るため鉱山事業に従事するが失敗。大正12年43歳、随筆『地に立ちて』、小説『風は吹く』を発行。第2次大戦後、農地解放で田を失くし家をたたむ。彼は反戦詩により世界平和を求めた。