略歴・解説
慶応元年(1865)17歳で裁縫指南所を開設。明治10年(1877)女紅場(女子機織り場)の裁縫教師をするが、明治20年大久保屋火事で類焼、自宅で裁縫学校を再開。その後日野屋火事・桐油屋火事と2回類焼にあい、その度ごとに関係者の支援で校舎再建を果す。茂子は会合の度に“万事皆様のご厄介に…”と口にした。この言葉は感謝の気持ちを表したもので素朴な人柄を知ることができる。明治39年柏崎裁縫女学校を創設。昭和10年他界。その後、嫁の登喜子が2代目校長を継ぎ、同20年閉校までの80年間、人材育成のため裁縫を中心に教養と嫁入修養に全力を捧げた。柏崎・刈羽の卒業生3千余人の中には重立ち衆や様々な娘さんが学び、親子共に慕われた。