略歴・解説
明治13年14歳で2年余柏崎校(現柏崎小学校)に奉職する。当時柏崎の自由民権運動は、松村文次郎率いる春風会が結束し、国会開設を目ざし演説会を各地で開いていた。開耶は未成年で演説禁止だが、懇親会で祝辞を3回述べている。明治15年11月、西福寺での3回目の祝辞が自由民権運動を弾圧する条例違反で罰金刑を受ける。翌年上京、漢字と語学を勉強中、後に夫となる北畠道龍の法話から女性の地位向上に共鳴。道龍は西巻らと「婦人修正会」を主宰し、同22、23年、東北地方巡回で女子教育、男女同権を説いた。同24年7月、同会の女子派遣講師団と柏崎の共栄座(西本町3)で大演説会を開催しているが、わが国婦人運動の草分け的存在といえる。