略歴・解説
幕末明治の文人。通称六太夫、号は米峰、迂斎。高野家は春日陣屋の旗本領主安藤氏の代官格で、平井近在12ヶ村を統轄する。天保11年(1840)19歳頃江戸昌平坂学問所で儒学を学ぶ。文久2年(1862)40歳関東関西より長崎を旅し、文人と交わる。長崎では南画界の大家日高鉄翁に画法を学ぶ。勤皇の志を抱いたが色々の事情で断念。晩年は社交を絶ち、漢詩を楽しみ、もっぱら書画に親しんで余生を送った。明治42年88歳の米寿を記念し、孫の誠亮が「米峰寿詞」を刊行する。祝辞・詩歌の顔ぶれは書家の日下部鳴鶴、画家の富岡鉄斎など著名な文化人が寄せている。