略歴・解説
理髪業を営む豊吉の二男。大洲尋常小学校(現大洲小学校)卒業後上京し、大場理髪店で3年間雑役に追われ、バリカンを手にすることもできない厳しい見習い修業をする。大正年間は天皇の調髪は侍従が行っていたため、店主は道具の手入れを行い、海津は道具持ちであった。店主大場が民間人として最初に天皇の調髪をバリカンで手がけたのは昭和に入ってからである。海津は昭和19年41歳のとき、主人と同様、優れた技術と誠実さが認められ、2代目の理髪師を拝命し、職責を果した。同時に優れた数多くの弟子を育てた。その後ガンで闘病中、天皇ご一家から見舞いのお言葉や生花などを賜り、感涙にむせんだ。これはハサミ一筋に誠意をつくした表われであった。