略歴・解説
旧家中林家の四男。県立長岡工業学校学び、長じて西川家に入り、西川鉄工所の事業に参加する。大正末年、理化学研究所長、大河内正敏の知遇を得る。昭和3年、比角に理化学興業株式会社柏崎工場が竣工。翌年、(同敷地内に)西川鉄工所比角工場を設立し、下請け工場として鉄工設備機械機具の製作を始める。昭和26年、東京大学生産技術研究所の鈴木弘博士が逆張力連続伸線機(針金)の研究で特許をとったので、西川は関忠三郎技師と連携し、その実用化に成功、大河内賞を得る。同年、県議会議長の際は新潟・福島にかかる只見川総合開発の運動の先頭に立ち、開発を実現。同28年参議院議員に当選し、地元・県・国の産業発展に尽した。