略歴・解説
浅貝家の長男で、早く父を亡くす。江戸に出て役人松田伝十郎の養子となり後に襲名する。幕末外国船出没のため、寛政11年(1799)幕府は蝦夷地を幕領とし、30歳にしてこの地の治安維持に当たる。文化5年(1808)伝十郎は間宮林蔵と共にカラフトを探検し、悲壮な決意で宗谷海峡を渡りカラフト南端に着く。松田は西海岸、間宮は東海岸を探検。死線を越え北緯52度のラッカ岬から西方を望む。大陸の山々を見つめ、離島を確認し、「日本国境」の柱を立て引き返す。文政5年(1822)、20余年の蝦夷地御用済となり在勤中の様子を『北夷談』7巻に残した。