略歴・解説
初代の父得斎の三男で良助という。長男琢斎が佐渡の本間家へ養子に入り、弟得斎が家業蝋型細工を継ぐ。兄は勤勉努力型で経営手腕や名声に敏感であったが、弟は名誉、営利に無頓着な天才肌であった。もし長寿だと抜群の技倆で兄をしのいだだろうと評されている。生活は貧乏だが無類の酒好きで熱燗を飲み、時に作品の想を練った。桑山太市朗の調査によれば、得斎記録の十三体仏・阿弥陀仏・水盤・観世音立像・両龍の水入・洋花の筆筒・十二支の鏡、蒼柴神社の大燈籠などの作品は名人芸で胸にせまる逸品。残念なことに家業を継ぐものが絶えた。