略歴・解説
柏崎中学から東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)へ進み、昭和8年洋画家として独立美術展に初出品。戦後は自由美術に属し2回受賞後、昭和33年53歳「双」、「海底の花」が絶賛され同協会の会員に推挙される。同年柏崎で「海底の花」、「工場」そのほか風景・静物などを展示、新鮮味を感じさせる。昭和35年洋画勉強のためパリに1年間滞在する。教育面では戦後長岡工業、直江津商工、玉川大学高等部、跡見女子大・同短期大で美術担当。美術教科書『造形』の編集にも携わる。特に留学後の作品は長年学びとった写実を基礎とするイメージの抽象表現で、骨格の確さがあると高い評価を得る。晩年は師を持たず名画を師とする作家であった。