略歴・解説
書家の山田鏡古の長男、名は勝之助。15歳の時上京し、東京洋画学校で洋画の重鎮高橋由一に学ぶ。20歳頃から西日本各地を巡り、絵を描き愛される。そして心機一転、東京で心学道場に入門。禅に没入、芸術の精神を究める努力をする。明治31年33歳、北海道へ渡り、40年間画道に励む。開発途上地では理解者が少なく困苦に耐えつつ悠々たる風格を形成する。小樽の西、余市町永全寺沢辺東開和尚が沢山の達磨を描くのを見て禅の精神に魅力を感じ、熟達を志す。油絵をもって朱達磨を描き、火事災難避けの達磨として一般に受け入れられた。禅寺で座禅を繰り返し達磨を描き遂に不起倒の心髄を体得。晩年は南画風の水墨画の制作も行い、語ると仏のような純心な人柄であった。