略歴・解説
「山甚」は代々薬種商、廻船業を営む名門。鏡古は通称孝三郎、8代重秋の三男で「山甚」の分家である。学問や風流の道では本家に負けず原修斎の門人として漢書を勉強。画は長崎まで出かけ山口龍綱(長崎の僧山岡哲斎の門人南画家)、田崎草雲(足利藩南画家、谷文晁に師事、尊皇派)に学ぶ。また中国の南画家石涛和尚の南画帖を手本に精をだす。書は中国に渡り勉強するほど徹底していた。茶道は裏千家に学んだが、後に江戸千家の流れを汲む高田(上越市)の荒井宗二から茶の奥義を学ぶ。明治20年44歳、大阪府庁の文書係や知事の秘書となる。故郷柏崎に帰り、求めに応じ重厚味のある書画を多数残す。