略歴・解説
丸田家3代目。2代尚行、号は桜亭の弟の長男で桜隠と号し尚友と名のる。尚行の養子となり3代目を継ぎ、先代と同じ縮行商兼薬種業を営む。幼年時代星野鏡里、水落雲濤に詩文を学び、さらに鈴木松塘が北越来遊のおり門人となり、書は関雪江に師事する。商売のため関西方面に通ううち、知名人と往来し、特に詩文の薄井小蓮とは親交が長い。商を進展させながら晩年は漢詩書画が円熟の境に達し、50歳前後は政治・教育に熱心で、明治13年柏崎校(現柏崎小学校)に後の農商務大臣荒井賢太郎を招く。執筆は『桜隠存稿』、『桜隠遺稿』、『桜隠詩抄』などで道徳の退廃を嘆き世の風潮に染まることを憂え、新井石禅師に帰依する。