小川 水明

じんぶつ名(ヨミ)おがわ すいめい
出身地長岡市小国町相野原
生年月日(西暦)1892
生年月日(和暦)明治25年
没年月日(西暦)1940
没年月日(和暦)昭和15年

略歴・解説

神主右膳の長男で、本名茂辰。新潟師範学校へ入学すると哲学、国文学で活躍中の同校先輩土田杏村を知る。牧水歌集「創作」の短歌会に入会する。在学2年で中退。大正2年上京、牧水を訪ね投稿が続く。大正4年23歳、処女歌集『生霊』を出版。序文の牧水は彼の歌に「永久に悲しみの玉を曇らせるな」と評する。一時親鸞に傾倒し「水明法師」と呼ばれる。大正6年歌誌の発行を思い立ち越後各地の歌会を訪ね、『光陰』を発刊するが7号で廃刊。同年『水明歌集』を自費出版。昭和3年第3歌集『有明雲』を自費出版。昭和15年2月自作の歌2千余の中から42首を選んで小型折本十数冊「水明選集」と題し、親戚知人に頒布。同年5月命を絶つ。

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