略歴・解説
通称惣太夫、号を鬼外。弘化4年(1847)江戸築地の桑名藩邸から柏崎陣屋詰、御馬廻り役を勤める。若い時から俳諧のほか雅楽、横笛、火術、水術に優れる。当時、柏崎では中流庶民を対象に漢詩や和学などが盛んに行われていたが、鬼外の柏崎陣屋詰により俳句の熱が高まった。作品は多数残され中でも、番神堂境内には「道芝やふまれながらも春の色」という句碑が建っている。なお鬼外没後の供養の歌会の寄書には荻原鶴眠、4代篠田宗吉、小熊東園(鋳物師)ら12名の名がみえ、故人の徳望が偲ばれる。浄願寺には「早く戸をしめて夜にせん秋の昏」の一句を刻んだ墓がある。また、寺の前庭には戊辰の役に函館で戦死した息子武雄の墓もある。