略歴・解説
北条の医師元簡の子、名は恭倩、字は良輔、号は雲濤で医師。酒と詩は人生の支えという。青年の頃は京都へ遊学。医学は竹中子譲に、漢詩は梅辻春樵に学ぶ。春樵は再三上京を勧めたが辞退、天保10年(1839)27歳帰郷、医を開業する。この頃の詩は酒と交友と旅行を題材とする。天保以降の動乱期は柏崎町民の窮乏がひどいため、詩は怒りをこめ世の不満を鳴らし、役人や一部の商人を批判したものであり、時代を敏感に捉えている。戊辰戦争の時は桑名藩主の侍医として従軍、加茂の野戦病院で戦傷者の看護に当たり、戦死者供養の詩など数十篇がある。生涯作詩をやめず、詩は正に魂の日記であった。長編大作の漢詩1,451首を収めた『雲濤集』がある。