略歴・解説
明治3年京都に遊学後、信州真光寺(現長野市)で石炭油会社掘削見習に従事するが、会社は倒産。しかし将来、石油の有望を確信し機械掘に専念。35歳のとき数名と新井(現妙高市)で45日間掘削するが資金が底をつき放棄。土木請負業をはじめ、明治22年佐渡鉱山雇いとなる。翌年8月、日本石油社長内藤の要請で入社。尼瀬油田では明治24年、米国機械掘初の1号井が成功し社長と感涙にむせぶ。尼瀬で10年間職工と共に夜遅くまで仕事に従事。その間ガス中毒、大火傷を負うが一命を拾う。その後西山油田に移る。多数の良鉱区を発見し、熱意溢れる仕事ぶりは技師職工に薫陶を与え、会社の隆盛に貢献した。