松田 青針(政信)

じんぶつ名(ヨミ)まつだ せいしん
出身地柏崎市西本町3丁目
生年月日(西暦)1880
生年月日(和暦)明治13年
没年月日(西暦)1962
没年月日(和暦)昭和37年

略歴・解説

浄土真宗正法寺住職是言の長男。柏崎尋常高等小学校(現柏崎小学校)、三条大谷派教学修了後、哲学館(現東洋大学)に学ぶ。雑誌「宝蔵」では信仰に関する質疑応答を担当。明治38年25歳高田日報を編集。新潟刑務所教戒師、自宅で夜学勧学院を数年間開く。大正(1912~)昭和10年頃まで全国布教活動と親鸞の執筆に専念。布教の「南無阿弥陀仏」の念仏は凛々と響き、人の心を打つ。『大凡愚親鸞』は青針が親鸞その人に倣おうと書下す。著書はこのほか、『人間苦の親鸞』、『良寛』、『愚者の信仰』など多数。昭和25年『青針信仰書簡集』がある。また歌人としても知られ、自選歌集数冊が残されている。晩年は雑事をさけ、読書に親しみ風格ある生涯を送る。

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