略歴・解説
佐助の二男。東京高等師範学校(現筑波大学)国語科を卒業。明治43年28歳にして東京高等師範学校助教諭兼訓導に転じる。大正13年42歳東京高等師範学校教諭のとき、東京帝国大学教授佐々木信綱の計らいで天皇御物藤原定家筆「更級日記」の写本を調査。頁の違いや文の誤りを訂正復元し、翌年『更級日記錯簡考』としてまとめる。昭和27年『更級日記評解』は『更級日記』の全文口語訳である。『日記文学概説』(20年刊)と昭和女子大学学長就任中に発行した『日記文学の研究』(40年刊)は日記文学不朽の名著として評価が高い。前書は無数の文学日記書の本質を考察したものであり、後書は鋭くち蜜に28編の作品の解釈をしたものである。また、柏崎商業高等学校の校歌も作詞している。死の間ぎわまで文筆に親しまれていた。