略歴・解説
東京帝国大学卒業の工学博士。37歳より貴族院議員。在任中、外国の製品依存脱却のため理化学研究所設立を訴え、大正6年実現。ドイツ留学後、大正10年より所長を25年間在任。多数の博士、論文、特許を生んだ。研究発明の工業化が成功すると、特許権料と実施料を研究費の充実や発明者の優遇にあてた。柏崎では昭和初年、研究所の成果を工業化するため柏崎の天然ガスと蒲原の白土の利用からアドソール(吸湿剤)、ピストンリングの製造などを創出。生産の合理化を目的に「科学主義工業」の理念を理研傘下の産業団に具現する。また、女子の職場確保のため「農村の工業化」の先頭に立たれた。