高橋 サワ
資料名よみ | たかはし さわ |
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分類(ぶんるい) | 人物 |
人物(じんぶつ) | 高橋 忠平 |
校区(こうく) | 柏崎小学校 |
解説(かいせつ) | 野沢治三郎の長女。夫忠平は昭和8年臨終に際し、サワに高橋家の越後屋の個人経営を廃し、会社組織の遺言をする。サワは早くから男まさりで堅実。当時の越後屋の隆盛を支える。翌年、株式会社越後屋は出資をサワと従業員で折半し、信頼の厚い福田庫八を店長に抜擢して再出発。やがてサワは1年のうち9ヶ月を柏崎で暮らすことにする。昭和12年亡夫の意をくみ、公会堂及び諸設備の充実のため17万円の巨費を町へ指定寄付する。昭和13年公会堂が完成し、町はその功績を讃え夫妻の等身大の銅像を建立。その頃は国防献金、学校寄付などを多数行った。昭和16年、太平洋戦争勃発で越後屋は閉鎖。同18年立派な銅像も軍へ供出し、サワはその2週間後に他界。町民は篤志を讃え町葬で報いた。戦後、夫妻の胸像が再度建てられた。 |