寺山修司

作者名(よみ)てらやま・しゅうじ
生年(西暦)1935
没年(西暦)1983

略歴・解説

1935年、青森県弘前市に生まれる。1951年、青森県立青森高校入学。新聞部、文芸部に参加。山彦俳句会を設立し、俳句誌を編集発行。1954年、早稲田大学教育学部国語国文学科入学。「チェホフ祭」で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞。1956年、詩劇グループを組織。処女戯曲「忘れた領分」を書き、早稲田大学で上演。1957年、最初の作品集『われに五月を』(作品社)刊行。1958年、谷川俊太郎のすすめでラジオドラマを書き始め、「ジオノ」(RKB毎日)が放送される。1959年、2作目のラジオドラマ「中村一郎」(RKB毎日)で第7回民放祭・文芸部門大賞受賞。1960年、長編戯曲を劇団四季で上演。長編映画のシナリオを書き、自らも出演。初めてのテレビドラマ「Q」(TBS)を書く。1961年、ラジオ・テレビの売れっ子脚本家になる。1962年、松竹の女優・九條映子と結婚。競馬場に通うようになる。1963年、『現代の青春論』(三一書房)と題して「家出のすすめ」をまとめる。1964年、放送詩劇「山姥」(NHK)でイタリア賞グランプリ受賞。放送詩劇「大礼服」(CBC)で芸術祭奨励賞受賞。1967年、横尾忠則、東由多加、九條映子らと演劇実験室◎天井棧敷を設立。旗揚げ公演『青森県のせむし男』(草月アートセンター)上演。1968年、放送叙情詩「まんだら」(NHK)で芸術祭賞受賞。競走馬ユリシーズの馬主になる。1969年、渋谷に天井棧敷館および地下小劇場(デザイン:粟津潔)落成。作詞した「時には母のない子のように」(歌手:カルメン・マキ)が大ヒット。1970年、「あしたのジョー」(作:高森朝雄、画:ちばてつや)の力石徹の葬儀を喪主としてとり行う。1974年、長編映画第2作「田園に死す」を脚本、監督。*翌年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。1979年、公開ワークショップ「犬の政治学」(東京都美術館)。1980年、『シティロード』読者選出ベストテンの演劇部門(作家・演出家)で2年連続第1位。1983年、絶筆となるエッセイ「墓場まで何マイル?」を『週刊読売』に書く。死去。享年47。1993年、テラヤマ・ワールド-劇場美術館(西武アートフォーラム)。1997年、三沢市寺山修司記念館(青森)開館。寺山修司フェスティヴァル(水戸芸術館)。2000年、寺山修司展 テラヤマ・ワールド きらめく闇の宇宙(小田急美術館・新宿,他)。2008年、寺山修司 劇場美術館:1935~2008(青森県立美術館,他)。2013年、寺山修司展『ノック』(ワタリウム美術館)。2018年、寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに(神奈川近代文学館)。【作成:2020年4月】

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