平田靭負像

作品名(ヨミ)ヒラタユキエゾウ
作品名(総称)平田靭負像
作家津田耕造 ツダコウゾウ
制作年(西暦)1954
材質・形状・技法絹本着色・軸装
形状(縦・高さ)cm49.7
形状(横)cm40.0
美術館分類コードJ-121-001
作品解説 平田靱負(1704~1755)は薩摩藩家老。はじめ宗武、のち正輔。通称は平蔵、兵十郎。のち掃部、靱負と改める。宝暦3年(1753)、藩から岐阜の木曽川治水工事の御手伝普請が命じられ、翌年に総奉行となる。工事には藩士など約1000名が派遣されたが難工事が続き、工費も予定を大幅に上回った。この間、工事の遅れや幕吏との対立もあり、多くの自殺者や病死者をだす。工事終了後には平田自身も責任をとって自刃した。鹿児島市城山町には当時の犠牲者を偲ぶ薩摩義士碑があり、平之町の平田靱負屋敷跡は平田公園として整備され、彫刻家安藤士制作の銅像が建立されている。本作品は、平田家子孫に伝わる画像を東京美術学校出身で和田英作に学んだ洋画家の津田耕造が写したものである。

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