高橋英吉と潮音
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石巻を代表する彫刻家 高橋英吉(たかはしえいきち)
| テーマ名 | 石巻を代表する彫刻家 高橋英吉(たかはしえいきち) |
|---|---|
| 分類1 | はじめてまなぶ石巻 |
| 分類2 | 石巻の先人たち |
| 解説 | 高橋英吉さんは、1911年に石巻の湊本町(みなともとまち)に生まれました。中学校に入学した英吉さんは、勉強しながら彫刻にも熱中(ねっちゅう)しました。 19さいのとき、英吉さんは彫刻家(ちょうこくか)をめざして東京に行きます。20さいのときに東京美術学校(とうきょうびじゅつがっこう)に入学して、彫刻をまなびました。 そして、25さいのときに、「少女像」(しょうじょぞう)という名前の作品を、文展(ぶんてん)という美術のコンクールに出して、おおくの人に評価(ひょうか)されました。 しかし、英吉さんはこの結果に満足(まんぞく)せず、さらにあたらしい表現(ひょうげん)をさがしました。 そこで、英吉さんは捕鯨船(ほげいせん)という、くじら漁をする漁船(ぎょせん)にのりこみ、仕事をしながら海ではたらく人たちをスケッチしました。 海からかえってきた英吉さんは、さっそくスケッチをもとに彫刻をはじめ、みっつの作品をつくりました。 ひとつ目が、1938年に発表(はっぴょう)した「黒潮閑日」(くろしおかんじつ)です。漁船ではたらく人たちが、休んでいるようすを表現しました。 ふたつ目が、1939年に発表した「潮音」(ちょうおん)です。海風をあびながら遠くを見つめる漁師(りょうし)を表現しています。 みっつ目が、1941年に発表した「漁夫像」(ぎょふぞう)です。網(あみ)をつくるための道具である網針(あばり)をもった漁師を表現しています。 このみっつの作品をまとめて「海を主題(しゅだい)とする三部作(さんぶさく)」とよび、英吉さんを代表する作品として評価され、数々の賞を受賞しています。 1940年、英吉さんは恋人(こいびと)の三浦澄江さん(みうらすみえ)と結婚(けっこん)します。1941年には、娘(むすめ)が生まれました。 しあわせのなかにいた英吉さんでしたが、このとき日本は戦争(せんそう)をしていて、英吉さんも兵隊(へいたい)として戦地(せんち)に行くことになりました。 戦地にむかう船のなかで、英吉さんは生まれたばかりの娘のために「不動明王像」(ふどうみょうおうぞう)をつくりました。 その後、英吉さんは上陸(じょうりく)したガダルカナル島(とう)で戦死(せんし)します。英吉さんは31さいでした。 「不動明王像」は英吉さんが戦死したあと、家族(かぞく)のもとにとどけられました。 英吉さんの作品は、現在、石巻市博物館(いしのまきしはくぶつかん)で見ることができます。 |
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