桃生城 中心部分
/2
桃生城の歴史
| テーマ名 | 桃生城の歴史 |
|---|---|
| 分類1 | 歴史 |
| 分類2 | 古代 |
| 解説 | 桃生城は、石巻市飯野にある古代の城柵で、当時の国家(律令国家)によって、蝦夷を統治するための政治および軍事拠点としてつくられました。 『続日本紀』には、758年(天平宝字2年)からつくられ始めたとあります。蝦夷とは、東北の各地で暮らす人たちのことで、蝦夷は国家に貢物をして、国家が蝦夷に布や食料を与えるという関係を維持していました。国家は桃生城や多賀城などの城柵を築いて支配を進めましたが、次第に蝦夷の間で不満が高まり、蝦夷と国家が対立する「三十八年戦争」が始まります。 桃生城は、774年(宝亀5年)に、北上川下流域から三陸沿岸にかけて暮らしていた「海道の蝦夷」の攻撃を受けます。この攻撃によって、桃生城の「西郭」が破られ、政庁などの建物が焼かれました。 その後、桃生城は再建されず、その役割を終えました。 |
| 制作年代・時期 | 奈良時代 |
| 課題1 | 桃生城のジオラマを見学しよう 調べ方:石巻市博物館の常設展示室にある桃生城のジオラマを見学する。なお、現在の桃生城跡は私有地です。見学は可能ですが、史跡として整備されていません。ルールやマナーを守って見学しましょう。 |
| 課題2 | 桃生城がつくられた時代背景を考えよう 調べ方:石巻市博物館の常設展示室を見学する。『石巻の歴史 第一巻 通史編(上)』などを読む。 |
| 課題3 | 桃生城以外の古代の遺跡を見学しよう 調べ方:周辺の古代の遺跡としては多賀城(多賀城市)や赤井官衙遺跡(東松島市)などがあります。 |
【石巻市博物館学習支援情報データベースについて】
石巻の歴史や文化の学習を支援するための石巻市博物館による特設ページです。
公開する情報は随時、追加・更新する予定です。
【利用上の注意】
石巻市博物館学習支援情報データベース(以下、本データベース)で公開している資料・作品の情報ならびに画像の無断転載や改変、営利目的をはじめとする二次利用は認めておりません。
公開している資料・作品の原本の閲覧や画像の利用をご希望の場合は、石巻市博物館へお問い合わせください。
本データベースを利用して学術論文や記事などを作成する場合は、本データベースを利用したことを明記してください。
本データベースで公開している資料・作品の画像等の複写(コピー)は受付けておりません。ご了承ください。
閲覧にかかるインターネットの通信料は利用者の負担となります。
【免責事項】
本データベースを利用して発生したいかなる被害・損害等に対しても、石巻市博物館はその責を負わないものとします。
【お問い合わせ】
石巻市博物館 学芸係(宮城県石巻市開成1-8)Tel.0225-98-4831
石巻市博物館公式ホームページ

