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犬田布騒動記念碑

大分類建築物・工作物
所在地犬田布
公開解説 犬田布騒動の犠牲者9人の子孫、親戚が100年祭を記念して、昭和39年旧3月18日に建立したものである。
 犬田布の福重(当時70歳)の上納糖の見積り高が不足したとの理由で、代官所の附役寺師次郎右衛門は下役人をつれて、犬田布仮屋で厳しい取り調べを行なった。当時、薩摩藩は農家の作った砂糖を全て買い取っており、他へ販売する事を禁止していた。重いものでは死罪に問われる者もいた。福重は老齢でとても取り調べに耐えられないので、姪の夫の為盛が身代わりとなり拷問を受けた。
 薩摩藩の過酷な砂糖政策の犠牲となり、無実の罪で拷問を受ける為盛救出のため、犬田布農民150余名
は一致団結して、元治元年(1864年)旧3月18日仮屋を包囲して、役人を亀津に追い払った。そ
の首謀者とされた8人の内6人は、明治9年までに13年間の遠島処分、残りの者は3年の体刑を受け、犬
田布・阿権原・鹿浦・阿三間の農道労役を命じられた。これが世に言う『犬田布騒動』であり、この騒
動の後、徳之島の砂糖取り締まりは緩和されるに至ったそうだ。
公開解説引用伊仙町誌偏差委員会 1978『伊仙町誌』

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