/2

面縄港

大分類流通・往来の場
所在地伊仙町面縄
公開解説 面縄港は文献史上に登場するのも町内で最も古く、1611年には薩摩藩との往来が記される(石上編2018)。1822年には島役人により港内の干瀬を取り除く大事業が実施された(吉満1895)。近世には砂糖蔵が設けられ、薩摩藩の船舶が往来するとともに、漂着や破船等もたびたび確認されている。現在も面縄港周辺に「船クラ」という地名が残されており、小字名からもかねてより船や港に関連する土地であったことが伺える(竿次帳1879)。
 陸路が整備される以前は、小規模な港から伝馬船(はしけ)が渡された。伝馬船により、大型船が就航できる面縄港と鹿浦港に積荷が集積され、両港は戦前に港町として全盛期を迎えた。終戦後、日本本土復帰を遂げた奄美の島々では多くの復興事業が進められ、面縄港もその一環で護岸工事、港湾工事が行われた。現在の面縄港は、釣り人が多くみられ、水産物の取り扱いを主とする漁港として賑わっている。
公開解説引用徳之島三町教育委員会編 2021『徳之島の水中・沿岸遺跡分布調査報告書』徳之島三町教育委員会
伊仙町史編さん委員会 1978『伊仙町誌』
石上英一編 2018『奄美諸島編年史料 古琉球期編』下 吉川弘文館
吉満義志信 1895『徳之島事情』(名瀬市史編纂委員会編1964『名瀬市史資料』(復刻原本))
1879 竿次帳

PageTop