【町指定】古井戸

大分類建築物・工作物
所在地大島郡伊仙町東面縄
公開解説【町指定文化財】

 東面縄に古くから伝わる古井戸で、琉球治下、琉球王から派遣された豊見大親が築かせたと伝えられている。深さ約5m、井戸の中は石を積み重ねて構築されている。昔から、東面縄住民の唯一の飲料水として利用され、今日の水道が普及する昭和30年代の半ばまで使用されていた。
 この井戸を掘ったとされる豊見大親にまつわる伝説が残されている。豊見大親は超人的英雄で体格が非常に大きく、力量が万人に優れていた。特に石工の技術が優れ、面縄小学校から約200mの所に共同の井戸を掘った。これが現在の東浜集落の始まりと言われている。彼の屋敷は『アガレントウ』と呼ばれるところにあり、現在もその子孫が住んでいると言われている。

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(町指定文化財台帳引用文)
 琉球国統治下時代、琉球王府から派遣された豊見大親(とよみおおぎみ)が築かされたと伝えられているのが、東面縄地区にある古井戸である。豊見は超人的英雄で、体格は非常に大きく、力量が万人にすぐれていた。特に石工の技術にすぐれており、当時の東浜の海岸地帯は村落がなく、殆ど荒野にすぎなかった。豊見は築城にあたって琉球から技術者を三十人ほど連れてきて住まわした。また面縄小学校から200メートルほど東に「湧水」を見つけ、掘り下げた。集落住民はこれを「東浜(アガレバ―)井戸」と呼んでいる。窪田実喜祐氏屋敷南の県道側にあり、集落一帯の飲料水として普及使用され、本土復帰後、今日の水道が完備する昭和30年代の半ばに至るまで、東浜集落一帯の飲料水をまかない「面縄の隆盛をきわめた源」として語り継がれている。井戸の築造形態は、大きな石灰石を積み上げて築いてあり、深さ約5メートル、内径2メートルの当時の工法としては、すばらしい技法が施されている。徳之島では、最も古い井戸ではないだろうか。この「東浜井戸」は生活・文化の源として町民に慕われており、後方にはサンゴの石垣も広がり遠い祖先たちの水汲み音が伝わってくるようだ。

所在地   伊仙町東面縄
指定年月日 昭和53年2月23日
公開解説引用伊仙町誌編さん委員会 1978『伊仙町誌』
文化財指定台帳

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