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【町指定】蔵屋敷跡

大分類建築物・工作物
所在地伊仙町面縄
公開解説【町指定文化財】

(町指定文化財台帳引用文)
蔵跡は面縄小学校敷地全体をいう。現在は、東側の校門に隣接して蔵の石垣の一部が残存する。蔵跡と通称している石垣のめぐらされた囲いがある。琉球王朝時代に、面縄の港は南方諸地域を往来する港町として繁栄した。石垣は古く琉球統治下時代(15世紀の頃)、豊見大親(とよみううや)が築いたと伝えられる。伊仙町誌に、「現在の面縄小学校敷地は、薩摩時代の藩の米や砂糖の集荷倉庫があった場所だと伝えられている。この敷地は周囲に石垣がめぐらされていた。復帰後、校地拡張のため石垣は除かれ、東側にその一部(高さ2.5メートル)が残させている。この頃に琉球から石垣の技術がはじめて入ってきたと考えられる。」とある。この石垣は、倉の目的のほかに「(豊見)は王の命を受け、徳之島に渡り面縄に城を築き、日本本土からおそってくる海賊に備えた。それから琉球との交通は多くなって、民俗文化も入るようになった。」南北約20メートル、高さ2.5メートル、幅約3メートルの石垣で住事は壮大な構えであったと想像され、また琉球治下時代は、ここに「城」があったろうと推察される。

所在地   伊仙町面縄
指定年月日 昭和53年2月23日
公開解説引用文化財指定台帳

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