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【町指定】喜念権現

大分類信仰に関わる場
所在地伊仙町喜念
公開解説【町指定文化財】

 鳥居の先の森の中に幅5メートル、奥行5メートル、高さ2メートルほどの鍾乳洞があり、その中に石碑が祀られている。喜念集落の人たちは、これを鎮守の神として崇め、雨乞いや豊年を祈願する祭りを行ってていた。また、洞穴の西側にある小川は地域の人の水場であり、また、ショウジ神の祭場でもあった。
 喜念権現には美女にまつわる2つの伝説が残されている。

1.昔、世にも美しい娘がいました。村の若者はどうにかしてその姿を一目見ようとしていましたが、娘はどういうわけか人に顔を見られることを嫌い、外に出ることがなかったそうです。ある日、娘が何かを落としたと言ってすすり泣いているので、その姉が一緒になって庭を探していると、ものかげに隠れた一人の青年が「見たぞ、見たぞ」といって誇らしげに大声をあげて飛び出してしまいました。娘は顔を見られたことに落胆して山奥の洞窟に身を隠し、そのまま喜念権現の神となりました。

2.薩摩から来た代官が、在任中に身の回りをする人を探していました。喜念村に絶世の美女がいると聞き、役人を通してその娘に相談を持ちかけました。娘は2年という短い在任中の島嫁になることはできないとして、その話を断ったそうです。そこで役人たちは娘の親をおどしたそうですが、娘は親に迷惑をかけてはいけないと思い、洞窟に入り自ら命を絶ってしまいました。村人たちは命を投げうって役人に抵抗し、貞操を守り続けた娘の気持ちを哀れみ、その霊を権現さまとして祭るようになったとこのことです。

 なお、鍾乳洞に向かって左側には高さ1.3メートルの鹿児島県で採れる山川石を使った灯篭が立っており、そこには、享保14年(1729年)己酉7月徳之島代官とその附役(補佐官)によって寄進されたと書かれている。

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(町指定文化財台帳引用文)
 喜念闘牛場横の尾母に通ずる農道を1.5キロメートル位行った左手に、椎の木や松の木の生い茂った林の中に喜念権現がある。鳥居をくぐって森の中を500メートルぐらい行くと、高さ2メートル、横5メートル奥行5メートル程の洞窟がある。洞内には石碑が立っていて白い砂が敷きつめられ、花が生けられている。ここは権現さまといって昔から、鎮守の神様として崇められた聖地で、雨乞い、または豊年祈願の祭りをしてきた場所である。洞の西側には泉があって、小川が流れている。昔は村人の飲料水を汲むところであったし、ショウジ神の祭場でもある。住古喜念御岳(きねんうたき)と称し、森全域が信仰の対象ともされていた。
 御神体は女神さまで、安産と倖せを願い、現在でも参拝の人たちで海からの白浜の袋が奉納され、素朴で真摯な信仰の心をかいま見ることができる。両神社(喜念権現と新田神社)とも集落民に霊験灼かな神社として尊崇を受け、毎年彼岸の中日にその例祭が行われる。右側に祀られている祠が新田神社で、御神体は神道の神々が祀られている。両神社ともヤブニッケイのしば(玉串)が奉納される風俗がある。その祭りの際の祝詞の終末に集落民の氏名を告るのも異風である。その由緒等について諸説粉粉として定かでない。両神社の周辺は老松あり、また植物、鳥類の繁殖地としても保護を要すると考えられる。

所在地   伊仙町喜念
指定年月日 昭和53年2月23日
公開解説引用伊仙町誌編さん委員会 1978『伊仙町誌』
伊仙町指定文化財台帳

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