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【町指定】牛なくさみ

大分類芸能・娯楽
所在地町内全域
公開解説【町指定文化財】

徳之島における牛なくさみ(闘牛)は起源は明らかではないが、江戸時代にはすでに行われていたようである。また、現在では徳之島においてのみ見ることができるが、古くは奄美群島全域で行なわれていたようである。当時の牛主は経済力のある大農家であった。支給米(シキュマ)・浜下り・十五夜の島の三大遊興日に、農作業を休み、酒肴を持ち寄って牛なくさみ(闘牛)、相撲、手踊り等を終日楽しんだとされる。その後、牛なくさみ(闘牛)は1909年(明治42年)には県令で禁止されるが、1911年(明治44年)には解禁される。また、太平洋戦争から戦後にかけては壊滅状態であったが1948年(昭和23年)には徳之島闘牛組合が設立され、現在のように入場料を取る形で再興された。その後1967年(昭和42年)には徳之島三町に闘牛協会が組織され、これをまとめた徳之島闘牛連合会が設立され、現在に至っている。このように二度の中断があり、消滅の危機に直面しながらも現在の盛況に至っていることは、まさに島民が必要としたなくさみであったからに他ならない。牛なくさみ(闘牛)はうたなくさみやぎゅうなくさみ同様、島民の生活に深く根ざしており、徳之島の社会・文化・交流を語るうえでも欠かせないものである。また、日本国内における闘牛開催地同士のネットワークを構築し交流を深める目的で全国闘牛サミットが開催され、広く国内外にその魅力が発信されている。

所在地   町内全域
指定年月日 平成26年5月1日
公開解説引用伊仙町指定文化財諮問資料

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