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鹿浦港

大分類流通・往来の場
所在地阿三
公開解説鹿浦港は、1841年に整備された比較的新しい港である。こちらも面縄港同様に島役人の手によって居船場として開かれ、当時の視察記録によれば「手入れが行き届けば面南和湊よりもよい」と評価されている(徳之島前録帳)。近世以前の利用に関しては記録に乏しく、古地図においては徳之島事情掲載の地図に「鹿浦湊」の文字が初見される(吉満1895)。港湾整備後は明治19年の暴風や、明治44年の喜界地震を原因とするがけ崩れによって人畜共に大きな被害を受けたが、大正年間をピークに賑わいを見せた。港町が形成され蒸気船や汽船の発着場となり、鹿浦は町内のみならず全島において主要な拠点となっていった。戦後、陸路中心となった輸送手段の移行によって港町は寂れ、昭和39年の大規模な水害によりその港湾機能に終止符が打たれた。現在では、水害後の再整備を経て漁港として活用されている。
公開解説引用徳之島三町教育委員会編 2021『徳之島の水中・沿岸遺跡分布調査報告書』
吉満義彦 1896『徳之島事情』(1997『徳之島事情』復刻版)
徳之島前録帳

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