済口証文之写

資料名(ヨミ)すみくちしょうもんのうつし
時代江戸時代 文化5年(1808)写
資料解説江戸時代の人びとは、農業収益を少しでも上げるため、肥料の採取に力を入れていました。市内の沿岸部の村々では、肥料としてのキサゴの採取が、しばしば争いの種となりました。この「済口証文之写」には、キサゴの採取場所や採取権利を示す「きさご札」の配分等をめぐり、村同士が争ったことが記録されています。
享保2年(1717)には、キサゴの採取場所の境界をめぐり、「キサゴ掻き」という道具を用いて怪我人が出るほどの口論が勃発しました。取り調べの結果、怪我については口論中のことだったので不問とされ、境界については双方で立ち合い、目印となる杭を打って確定したことで内済となりました。
この「済口証文之写」は、キサゴが当時の人びとにとって重要な資源であることを示す資料といえます。この資料には、防虫効果を期待したイチョウの葉が何枚も挟まっており、地域で代々大切にされてきたこともうかがえます。

PageTop