大岡氏より拝領裃(大岡家と割元家の紋付)

資料名(ヨミ)オオオカシヨリハイリョウカミシモ(オオオカケトワリモトケノモンツキ)
時代江戸時代
資料解説この裃は、名奉行として時代劇でも有名な大岡越前守忠相を初代とする三河国西大平藩(愛知県岡崎市が本拠)領の島野村(現市原市島野)で、周辺の藩領村々を統括する役目での「割元」(わりもと)を長く勤めた家に、藩主大岡氏から拝領(受け取ること)したとされるものです。江戸時代、武士の礼服である裃は、肩衣(かたぎぬ)と袴一式をさし、麻地に小紋染の文様が流行しました。割元の家に現存する裃は2具あり、この資料はそのうちの1具です。肩衣の右胸と背に大岡家の紋(大岡七宝)、左胸には割元を勤めた家の紋がついています。
この裃をいつなぜ拝領したのか、これを紐解く文政13年(1830)7月付の古文書(市原市教育委員会『市原市史』資料集近世編2 126頁)に、藩の役人から「その方は割元役を長く勤め、さらに用水を巡る村々の争いの解決に力を尽くしたため、御紋付きの裃一具を下されることになった」とあります。ちょうどひと月前に、用水堰を巡る争いが終結したところだったのが、別の古文書にも記されています。裃2具のうち1具は、この功績により拝領したのかもしれません。

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