南伊勢系羽釜

資料名(ヨミ)ミナミイセケイハガマ
遺跡棗塚遺跡
時代・時期室町時代
解説 南伊勢地域(三重県)を中心に生産され、東海地方で使われた鍋(なべ)形の土器です。扁平(へんぺい)球状の特徴的な形で、極めて薄手に作られています。胴部最大径が29.2cmに復元できる大きさです。分厚く縦深な在地土鍋に比べ、熱効率が良く、より少ない燃料で短時間に煮沸できたと考えられます。
 囲炉裏(いろり)に吊るす在地土鍋と違い、五徳(ごとく)に乗せて煮炊きするものです。ただし鍔(つば)の上に穴のあけられた個体が多く、吊るして使うこともあったのかもしれません。土器が焼かれた後に穴のあけられた例が多いことから、関東の囲炉裏で使えるように手を加えた可能性があります。
 江戸湾岸に分布する14世紀から15世紀にかけての遺跡で少量出土することから、伊勢湾や東海地方から移動してきた人々が使っていたと考えられます。この時期に伊勢湾・江戸湾間を往来する商人の動きが活発化し、交易ネットワークに連なる津や湊(みなと)の整備が一斉に進んだことを示唆します。
 市内姉崎の棗塚(なつめづか)遺跡からは101点も出土し、注目されています。出土した鍋全体の23パーセントを占めることから、遺跡が特殊な空間であったことが分かります。流通に深く関わる人々が、棗塚遺跡で在地の人々と雑居していたのでしょう。八幡浦(やわたうら)に面した御墓堂(みはかどう)遺跡からも多く出土していますので、姉崎と八幡に一定規模の物資集散地があり、それぞれに都市的な場が形成されていたと考えられます。

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