軒丸瓦・軒平瓦
| 資料名(ヨミ) | ノキマルガワラ・ノキヒラガワラ |
|---|---|
| 遺跡 | 光善寺廃寺 |
| 時代・時期 | 8世紀第1四半期 |
| 解説 | 光善寺廃寺から出土した軒丸瓦(のきまるがわら)と軒平瓦(のきひらがわら)です。残存が悪いですが軒丸瓦の瓦当(がとう)の残存径は16.5cmを測ります。軒丸瓦の文様は蓮華(れんげ)(ハスの花)をモチーフにしたもので、花弁2枚を1セットとし、それを8つ配した、「複弁八葉蓮華文(ふくべんはちようれんげもん)」とみられます。瓦当外周の外区の内側には不鮮明ですが、鋸歯文がめぐります。裏面には瓦当に接合した丸瓦が残ります。 軒平瓦の文様は型で三重の線を引いた「型引き三重弧文(かたひきさんじゅうこもん)」です。瓦を葺いた際に屋根側を向く凸面(とつめん)はロクロで丁寧にナデ、空側を向く凹面には布目痕と、瓦を造る際に粘土を巻き付ける桶(おけ)の圧痕が残り、「粘土板桶巻きづくり」という製作技法が用いられたことがわかります。この技法は主に国分寺創建以前に採用されていたものです。 この軒丸瓦と軒平瓦の年代は国分寺創建以前の8世紀第1四半期と考えられています。セットで建物の軒先を飾ったのでしょう。光善寺廃寺からはこの瓦より古い、7世紀末頃の瓦も出土しているため、この瓦は光善寺廃寺の補修に使われたとみられます。 また市内の武士廃寺(たけしはいじ)からは、光善寺廃寺の軒丸瓦と同じ文様型(瓦笵(がはん))で製作された「複弁八葉蓮華文」が出土しており、両寺の密接な関係がうかがえます。 |

