把手付き深鉢形土器

資料名(ヨミ)トッテツキフカバチガタドキ
遺跡北野原遺跡
時代・時期縄文時代後期初頭~前葉
解説 縄文時代後期の深鉢(ふかばち)形土器の破片です。口縁直径が18cm程度と小ぶりの土器で、アーチ型の把手が付けられています。表面の装飾は、先端の角ばった道具で付けた刺突文(しとつもん)を地の文様とし、2本単位の曲線的な平行沈線(ちんせん)を格子状に施しています。刺突文がランダムに施されていることや、格子状の沈線が、やや丸みを持ちながら垂れている特徴から、マタタビ等の蔓(つる)性植物で編まれたカゴなどの編組(へんそ)製品を表現したようにも見えます。刺突文の施され方などは同時期の北陸系の土器の影響とも考えられ、その場合、縄文時代後期の始め頃までさかのぼる遠隔地間交流の産物という性格も想定できます。
 この土器が出土した北野原(きたのはら)遺跡は、東京湾を西に望む国分寺台地区の標高23m前後の台地上に位置します。調査区では、縄文時代後期初頭から奈良・平安時代の遺構が複合しており、縄文時代には、出入り口部分に張出し部を有する、柄鏡(えかがみ)形の竪穴建物(たてあなたてもの)跡などが検出されています。資料は調査区南西端に位置する地点貝塚周辺から出土したものです。谷を挟んだ対岸に位置する祇園原貝塚が後期前葉以降を中心とするのに対して、北野原遺跡は、それにやや先行する後期初頭の遺構が中心となっていることから、北野原ムラの縄文人が祇園原の地へ移動した可能性が考えられます。

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