釣手土器

資料名(ヨミ)ツリテドキ
遺跡西広貝塚
時代・時期縄文時代後期中葉
解説 縄文時代の釣手土器(つりてどき)です。高さ24cm、幅22.4cm。形はとてもユニークで、台の付いた浅鉢(あさばち)状の本体から、文字通り釣り手のようなパーツがアーチ状にのびています。ただ、実際に上から吊るすようにして使っていたのかは、わかっていません。
 下半部には条線状の沈線(ちんせん)、端部には刻みが入り、丁寧にミガキ状の強いナデが施されています。独特なデザインに加えて、非常に丁寧に仕上げられているので、実用品というよりは何か特別な用途に使われていたと考えられます。内側の底には黒い痕跡が見えますので、火を焚くような儀式に使われたのかもしれません。
 文様や作り方の特徴は加曽利(かそり)B式という土器型式と共通するため、今から4,500年前頃のものと考えられます。
 この釣手土器が見つかった西広貝塚(さいひろかいづか)は、その出土品だけで博物館の主要な展示ができるほどの、「縄文博物館」とでも言える遺跡です。国分寺台地区の東南部に位置し、長さが150m近くもある馬蹄形(ばていけい:馬のひづめのような形)の貝層からは、魚骨や獣骨などの自然遺物のほかに、大量の土器とともに、多様な土製品や石器、骨角貝製品が出土しています。最下層に縄文時代中期末頃の土器が出土することから、貝塚は最上層にあたる晩期中葉まで約1,500年間にわたり、縄文人によって断続的に形成されたことが明らかになっています。

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