「背俣」銘墨書土器

資料名(ヨミ)「セマタ」メイボクショドキ
遺跡表面採集
時代・時期平安時代前期
解説口径12.1cm、底径8.5cm、器高3.7cmの須恵器杯です。
 郷土の歴史を研究されていた故大室晃さんが、昭和29(1954)年6月20日に市原市「瀬又倉庫付近の畑」から発見したものです。
 8世紀末から9世紀初頭ころの器で、下総(しもうさ)南部(千葉県北部)で焼かれたと考えられています。 
 底部に「背俣」と墨書きされています。現在の市内北東部の地名である「瀬又(せまた)」に通じる地名であることから、『角川地名辞典』にも紹介されています。
 平安時代に編さんされた『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』に記載されていないことから、郡・郷とは異なる地名、ということになります。江戸時代に「瀬又村」が成立する以前の状況は謎ですが、
この地域が古代から「セマタ」と呼ばれていたことがわかる貴重な資料です。

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